日本で暮らす私にマスク転売を非難する資格はあるのか?

 

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マスク、全然無いですね。

 

私は重度の花粉症なので、マスクが無いとかなり困ります。鼻からはサラサラな鼻水が溢れ続け、眼球は歯ブラシでゴシゴシしたくなるくらい痒くなります。

 

3月10日、政府はマスクを取得価格より高値で転売する行為を禁じる閣議決定をしました。

 

世間ではマスク転売が猛烈なバッシングを受けており、このマスク転売禁止令も反対してる人はあまり居ないようです。

 

自分もこのマスク転売禁止には賛成です。でも、マスク転売そのものについては、非難する気にはなれません。

 

ネットの一部では、マスク転売は非難すべき行為なのか?という議論が行われています。経済的自由主義やリバタリアニズム的な観点から、必ずしも非難するような行為ではないという人もいれば、人命に関わるような危機的状況において、利益の追求を優先するような行為は倫理に反すると言う人もいます。

 

個人的には、マスク転売は非難すべき行為なのか?という点よりも、マスク転売を非難する資格が、はたして日本で暮らす私にあるのか?という点が気になっています。マスク転売が悪事かどうかの話はここではしません。

 

 

 


今マスクが手に入らない原因は、言うまでもなくコロナウイルスの流行にあります。コロナによりマスクの需要が高まり、供給が追いつかない状態です。

 

よく転売ヤーのせいでマスクが買えないという人がいますが、今マスクが買えないのは、供給量を遥かに上回る需要があるからといったほうが正しいでしょう。転売ヤーが居ても居なくても、世の中のマスクの数は変わりません。変わるのは、マスクの値段です。

 

仮に転売屋が一切居なかったとしても、今回のマスクのように欲しい人が多すぎると、マスクを買えるのは一部の人間だけです。この場合、マスクを買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より早く店に行けたかどうか」になります。

 

ところが、転売屋によってマスクを買い占められると、マスクを買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より多く金を払えるかどうか」になります。

 

朝早くから並ばなければ手に入らない数量限定グッズ、当選倍率が高いプラチナチケットなども同様で、本来なら先着順や運が入手できるかどうかを左右しますが、転売屋が買い占めると、全てが札束の殴り合いへと変化します。

 

転売ヤーが社会悪とされる一番の理由がこの部分でしょう。多くの人が、「転売ヤーがいるとお金を持っている人しか入手できない」と非難します。とくに、今回のような命に関わる品の場合はことさらです。

 

しかし、「お金を持っている人しか入手できない」ことを非難する資格が、はたして私たち日本人にあるのか…

 

「自動車は環境に悪いから使用するべきじゃない」という人が車に乗りまくってたらおかしいように、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」という人は、そのとおりの行動をしていなければ、主張と行動が矛盾してしまいます。

 

そこで、私たち日本人は世界的に見てどのような生活をしているかを、昔チェーンメールとして流行した「世界がもし100人の村だったら」で考えます。懐かしいですね、チェーンメール。

 

 

 

仮に世界が100人の村だった場合、村人100人の1日の収入は下記のようになります。


1人が90ドル以上(1万円~)
6人が50~90ドル(5560円~1万円)
9人が20~50ドル(2200円~5560円)
13人が10~20ドル(1100円~2200円)
56人が2~10ドル(220円~1100円)
15人が2ドル(約220円)以下
https://www.youtube.com/watch?v=QFrqTFRy-LU

 

村1番のお金持ちの収入は1日1万円以上、2~7番目は1日5560円~1万円となっています。

 

国税庁の民間給与実態調査によると、2019年における日本人給与所得者の平均年収は441万円になります。ちなみに中央値はだいたい360万円~370万円辺りだそうです。つまり、中央値で考えてみても、一日当たりの収入が1万円はあることになります。

 

つまり、仮に世界が100人の村だった場合、一般的な収入の日本人は、村で2番目くらいの金持ちであると言えるでしょう。フリーターの場合でも、上位5位に入りますから、なかなかの金持ち国家です。

 

考えてみてください。村で2番目の金持ちが、そのとてつもない額の収入で村で2番目に裕福な暮らしをしている人間が、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」と言っていたら、他の村人たちはどう思うか。

 

村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人達の年収よりも高い金額の携帯電話を、中高生が持っています。

 

村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人達が1日で稼ぐ金額を、部活帰りにコンビニでファミチキ買うのに使います。

 

村で2番目に裕福な日本人は、途上国の子どもたちの命を奪うはしかの予防接種用ワクチン1500回分の金額を、娘にSwitchを買ってやるために使います。

 

村で2番目に裕福な日本人は、こう言います。「日本終わった」「日本人は貧しくなった」「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」と。

 

 

 


私たち日本人は、あまりにも歪に偏った経済格差の富める側に属しています。「お金を持っている人しか入手できない」という資本主義システムと、お金という圧倒的な力を最大限利用し、自分や、家族や、大切な人との豊かな生活を手に入れているのです。

 

お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい?それじゃあ、物やサービスを手に入れる必要条件をお金から先着順や抽選制にしたらどうなるか――

 

そうなった瞬間、私たちは圧倒的に不足している食料や水を、地球上の77億人と奪い合うことになります。行列の先頭集団に入れないと、抽選に当たらないと、その日食べるものもありません。家に帰っても、水道もなければ電気もつかない可能性が高いです。抽選に運良く当たり、iPhoneを手に入れたとしても、目の前の栄養失調で死にそうな子供のために、iPhoneを売って食料を買うこともできません。


別に、こんなに不公平な世界はおかしいとか、ユニセフにもっと募金しようとか、そういうこと言うつもりはありません。

 

「金を持つ人しか物を買えない」というシステムを利用して裕福な暮らしをしている自分が、同じシステムを利用して稼いでいる転売屋を非難する資格がはたしてあるのか。そこがモヤモヤしています。

 

自分も転売屋も、自分たちの生活を豊かにするという利己的な理由でこのシステムを利用しています。どこに違いがあるのか。他人に迷惑をかけているかどうか?

 

転売屋が居てもマスクの数は変わりません。お金を持っている人は相変わらずマスクを買うことができます。コレを迷惑だから平等にマスクを分配しろと言った途端、日本人は自らの資産を分配する側になってしまいます。

 

「お金がある人しかマスクを買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか食料を買えないなんておかしい」と最貧国の人達に言われたら食料や金銭を彼らに渡すのか?

 

「お金がある人しかマスクを買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか学校に行けないなんておかしい」と最貧国の人達に言われたら、自分の大学の学費を彼らに渡すのか?

 

自問自答してみますが、もちろん答えはNOです。そもそも、まだ奨学金払い終わってないし…

 

別に、自分で稼いだお金は自分のために使えばいいと思います。1万の寿司を食ったっていいし、推しに20万使ったっていい。家族のために使ったっていいし、もちろん募金したっていい。

 

私は世界で一番、自分の事が大切です。1本10円のワクチンで救える命があると知っていても、自販機で120円のコーヒーを買います。ケチなので躊躇はしますが。

 

それどころか耳かきされるのが好きな私は、1時間6500円の耳かきリフレに行っています。イケメンなら彼女にタダでしてもらえる耳かきも、彼女が居ない人間がしてもらおうとすると、1時間6500円も払わなきゃいけないんですね。そう考えると、森永卓郎が提唱していたイケメン税の話も、そんなに荒唐無稽な話ではなく思えてきます。

 

この6500円という金額は、ユニセフに募金すると3つの病気から子どもの命を守る予防接種用ワクチン240回分に変わります。

 

そのことを知っていても、たまに気まぐれでコンビニのお釣りを募金箱に入れるくらいで、6500円を募金箱に入れる事はできていません。

 

マンホールに済む子どもたちのドキュメンタリーを見て、自分はなんて裕福なんだろうと、彼らはなんて不憫なんだろうと涙を流しても。6500円は募金箱ではなく、耳かきリフレの受付に渡します。私が店の女の子に膝枕耳かきをしてもらって惚けている1時間の間に、643人の子供が栄養失調で亡くなることを知っていても。

 

でも、だからこそ、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」なんて、そんなことは言える立場じゃないよなあと、思うのです。