便器を洗うたびに思い出す、あの日のバレンタインデー

便器を洗うたび、思い出す日がある。

 

その日はバレンタインデーだった。中学2年だった僕は、友達のカッチョと一緒に、学校のトイレ掃除をしていた。

 

カッチョは小学校時代から仲が良かった友達だ。名字が僕と似ているため、名前の順で並ぶと、いつも後ろにはカッチョがいた。委員会も、給食当番も、掃除の班も、いつも一緒だった。

 

僕とカッチョは、掃除場所にいつもトイレを選んだ。トイレ掃除の定員は2人。密室であるトイレは、2人で思いっきり遊ぶのに都合が良かったから、毎回2人でトイレ掃除を選んだ。僕のクラスのトイレ掃除枠は、もはや僕とカッチョの指定席になっていた。

 

僕たちは掃除の時間になると、ブラシでホッケーをやったり、クレンザーをぶっかけ合ったり、排水口に蓋をしてトイレをプールにしたり、掃除そっちのけで遊びまくっていた。

 

来賓用だったそのトイレは、そもそも使う人間なんて殆どおらず、掃除をする前からいつもキレイだった。僕らにとって掃除の時間は、休み時間の延長みたいなものだった。

 

そんな、二人だけの時間だったトイレ掃除タイムに、ある時から邪魔が入る用になった。

 

「せんぱ~い!!」

 

そんな、甘えた声とともにやってくる彼女たち。そう、カッチョのファンだ。

 

ある時から、後輩女子2人組が来賓トイレに立ち寄り、掃除をしているカッチョに会いに来るようになった。いや、カッチョは掃除などほとんどしていないが、とにかく、要するに、カッチョという男はモテる奴だった。

 

「せんぱーい!!」「キャー///」

 

キャーである。後輩女子に対しカッチョが手をふると、彼女たちはキャーといって去っていく。漫画でよくある、「イケメンに群がる目がハートのモブ達」。まさしくあれだった。

 

色恋沙汰なんて全くなかった僕に対し、カッチョは小学校の頃から彼女がいたし、中学3年間でも何人かのと女子と付き合ったり別れたりしていた。

 

別にカッチョは、特別顔が整っているわけではなかった。勉強なんかはもう、かなり厳しい状態だった。でも、表裏がなく誰に対しても別け隔てなく接するカッチョは、皆から好かれていた。

 

いつからか、後輩女子は掃除の時間にカッチョと立ち話をするようになっていた。掃除の場所が近くなのか、早めに掃除を切り上げて寄っているのかわからないが、とにかく彼女たちが来ると、僕とカッチョのじゃれ合いが中断される。

 

その間、僕はもう、トイレの奥にある和式便器にこもって、ただ目的もなく便器とブラシを擦り合わせる作業をしていた。それくらいしかやることがなかった。

 

それまでの僕とカッチョは、お互い掃除をサボって騒いでいるガキでしかなかった。

 

粉のクレンザーを手のひらに載せ、お互いに息でフーっと吹き飛ばし、互いの髪の毛を真っ白にしてゲラゲラ笑っている。

 

似た者同士、同じように不真面目で、同じレベルではしゃげる関係。どこまでもフラットで、シンメトリーな関係。

 

しかし、後輩女子2人が来ると、そんな位置関係は一気に吹き飛んでしまう。

 

つまり、カッチョはたちまち後輩女子憧れのカッコいい王子様になり、そして、僕はと言うと、その王子様の奥でいつも便器を擦っている人、である。

 

後輩女子がきた瞬間、僕は景色の一部になってしまう。それまでカッチョと二人でどんなにはしゃいでいようとも、彼女たちが来た瞬間、歴史資料館においてある機械じかけの人形みたいに、ただただブラシを行ったり来たりさせて、便器をこすりつづけるだけの物体になる。

 

その時の光景が、目の前に便器しかない光景が、今もはっきりと思い浮かぶ。

 


 


その日は、バレンタインデーだった。

 

あの女子2人が、カッチョにチョコを渡しに来たのだ。

 

後輩がカッチョにチョコを渡している間、僕はいつもどおり便器をこすりつづけるだけの物体になっていた。

 

カッチョと後輩の話し声を聞きながら、ただただ便器をこすりつづけていた。

 

彼女たちが帰ったあと、照れくさそうにトーマスが描かれたチョコの箱を手に抱えながら、カッチョは僕に聞いてきた。

 

「今まで何回告られた事ある?」

 

僕は答えた。

 

「ないよ。」

 

カッチョは冗談だと思ったようで、「今まで一度もない事ないでしょ?」と、またまた~みたいな顔をしながら聞いてきた。

 

「いやマジでないよ。一度も。」

 

そう答える僕に対するカッチョのリアクション。その、面食らったような顔をみた瞬間、僕は理解した。

 

カッチョはいい奴だった。この問いは、自分がモテることの自慢でも、モテない僕に対する嫌味でもなく、純粋に心の底からそう思っての問いだった。

 

つまり、カッチョにとって告られるという事はごく当たり前のことで、目の前にいる人間が今まで一度も告られたことがないなんて、そんなことは想像もできなかったのだ。

 

僕はもう、悔しいとか、羨ましいとかではなく、モテる人間とモテない人間の間には「告られ」に対してこんなにも認識の違いができるのかと、こんなにも隔たりがあるものなのかと、ただただ驚いた。

 

カッチョと僕の常識は、お互いにとって予想外過ぎたのだ。

 

「告られた事なんて一回も無いよ。」

 

そう言って僕は、トイレ掃除を再開した。

 


 


2月14日。バレンタインデー。今年も、チョコを貰う相手なんかいなかった。

 

バレンタインデーになるたび思う。いつになったらカッチョに追いつけるんだろうと。

 

小学生のカッチョにはもう彼女がいて、中学生のカッチョはキスなんか当たり前のように経験しているだろう。高校生のカッチョなら童貞だって卒業してるだろうな。

 

対して26歳になった僕は、まだ小学生のカッチョにも、中学生のカッチョにも、高校生のカッチョにも追いついていなかった。

 

恋人もキスもセックスも、そんなものは、あの時、あのトイレではしゃいでる時の僕と同じで、自分とは縁のないものだった。

 

自分だけあの時のままだなあ。

 

そんな事を思い出しながら、家の便器をこすっていた。

 

カッチョは結婚して、お父さんになっていた。